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福沢諭吉2012年04月03日

1868年(慶応4年)4月3日慶応義塾に
改称です。
1858年(安政5年)に中津藩江戸藩邸で
開いた、蘭学塾が起源であります。
「義塾」本来の語義は、
公衆のために義捐で運営される学塾という
意味で、学費を納めないのが原則であるとの事です。

学問のすすめ

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

その次第甚だ明らかなり。

「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。

されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。

すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。  以下省略。

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しだれ桜
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